症例 5 88歳 男性 重い認知症 でも一家の大黒柱
Oさんは発熱のためケアマネジャーが連絡してきて受診した。
奥さんに先立たれ息子さんと二人暮らしをしている。
軽い脱水&尿路感染と診断され点滴治療のため入院となった。
そして発熱と環境変化の影響もありひどいせん妄状態(何が何だかわからない状態)となった。
点滴は抜いてしまう。会話にならない。歩き回る。夜もほとんど眠らない・・・
とにかく治療が第一、となんとか点滴をし、軽い安定剤を使い、昼間は見守りをして過ごした。
しばらくして面会にやってきた息子さんも病状説明などしてもなんだか要領を得ない。
仕事はしているそうだか理解力が少し弱そうで頼りない。
以前のことを聞いてみるとOさんは建築業の現場監督でとても器用な人だったらしい。
そして一家の大黒柱だったのだ。
徐々にせん妄状態は落ち着いたが、かなり認知症がすすんでいる事がわかった。
会話は成り立つようになり、ボソボソと一言ずつ話す内容は間違っていなかった。
ただ場所や時間の感覚がなく、いつもウロウロしていた。
体調が良くなって退院先を考える時期になった。
息子さんはどうして良いのか、なかなか判断できずにいたが、結局お父さんを一人にさせる時間が長く、自宅退院は困難で、施設を探すこととなった。
初めて施設を探す場合、申し込みから入所できるまで順番待ちで結構時間がかかる。
特に認知症があったり、自分で動き回れたりする人は・・・
いろんな施設に申し込みをした。
そんなおり、ちょうど病院祭の日程が決まり、当病棟では患者さんといっしょに展示物を制作する事になった。
そこでOさんは本領を発揮した。
壁飾りにする富士山のちぎり絵を本当に細かく、丁寧に黙々と作り上げた。
折り紙も上手だった。
そしてなにより根気がある!
毎日毎日いろんな制作を上手にこなした。
行動も落ち着き、夜中は眠れるようになった。
他の患者さんの車椅子をいっしょに押してくれたり、テーブルの片付けをしたり、
本当に働く事・体を動かす事が好きだったのだろう。
そんな日をすごしていたが、結局どこからも空床の連絡はなく、地域包括ケア病棟の期限である60日になってしまった。
特に体調には問題はないので、入院前のように自宅に退院し、施設入所を待つことになった。
さすがに60日一緒にいるとさみしいものである。
今後施設入所になれば、ご自宅で一人で過ごすより安全で何か生きがいのある生活がおくれるんだろうなぁと思い、施設が見つかることを祈っていた。
退院後4〜5日して、当院のMSWから
「Oさんのグループホーム入所が決まりました!」
という嬉しいお知らせが…
でも
「ケアマネジャーが自宅へ会いに行くと雨が降っているのに外でびしょ濡れになっていた。」と聞きまた心配になった。
それから3日後
「Oさん無事入所出来ました!」と聞きやっと安心した。
今でも壁にはOさんが制作したちぎり絵が飾られている。
しっかり者ほど認知症になるのだろうか?
年を取っても親の方がしっかりしている、こういう家族は結構いる。
また医者や先生など頭の良い人ほど、認知症になりやすいという俗説もあるくらいだ。
残された家族がしっかり生活できるように手配していく事も"終活"の重要な要素なのだと思った。