症例 4 67歳 男性 ALS突然の発症
今日は空から寒そうな白い雲が垂れ下がって今にも雪がちらつきそうだ。
急に冬が近づいた気がするそんな日はNさんの事を思い出す。
もう7〜8年前になるかなぁ
私が内科病棟に勤務していた頃患者さんとして入院してきた。
どこにでもいる普通の人の良さそうな田舎のおじさん。
定年後もしばらく前まで畑仕事をしたり車の修理をしたりできていた。
歩くときにつま先が突っかかるようになりだんだん転ぶことも増え、また筋肉が落ちてきた。
痛みもあり、整形外科受診し、検査のため入院になった。
そしていくつかの検査の結果ALSと診断された・・・
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は50〜74歳の発症率が高くまた男性の方が多く女性の1.3倍だ。
初めて病名を告知された時は病気の事をあまりよく知らずに予後についても想像できていない様子だった。
奥さんとお子さんも同居しており一緒に結果を聞きショックを受けていた。
それでも痛みは痛み止めで落ち着き、しばらくして退院していった。
2〜3ヶ月すると飲み込みが悪くなり食事が摂れずに入院してきた。
その頃は病気・今後についても少しずつ話をしたり質問を受けたりご家族とも話し合った。
Nさんは始め胃瘻とか呼吸器について
「機械をつけたりお腹に穴開けたり、延命はしたくない」と言っておられた。
入退院を繰り返す中で病気もだんだんに進行していった。
何回めかの入院中、ご家族の強い希望があり胃瘻を作ることになった。(病院でもこの頃はまだ盛んに胃瘻造設をしていた)
前の日までNさんは迷っていて、検温で回っていった私は
「今食べることができなくなって、点滴は医療が必要ですが、胃瘻ならお家でもできるので、まだまだご家族との時間も持てると思います。胃瘻は延命では無いと思います。」とおずおずと言った。
Nさんはどう思ったかわからないが胃瘻だとこうなる、という事を知っている限りお話した。
そして次の日、無事胃瘻を作りその後ご自宅に退院していった。
それからますます病気の進行は速くなり、1ヶ月程で再入院となってしまった。誤嚥性肺炎だ。
呼吸の力も弱くなり排痰できずに吸引も必要になった。
今度の退院は施設か病院を探すという事で、地域の特定疾患を得意とするリハビリ病院に空きが出て転院が決まった。
その時もNさんは「呼吸器はつけない」とおっしゃっていた。
そして転院の日
私は夜勤明けで自宅へ向かって運転していた。
交差点の信号で停まっていると介護タクシーが右から曲がってきた。
そう言えばNさん「転院する時自宅の方を回って行く」と言っていた。
Nさんの自宅は確か我が家と同じ地区だった。
多分あの介護タクシーにはNさんと奥さんが乗っているのだろう。
どんな思いでご自宅を眺めたのだろうか…?
お別れをしたのだろうか…
Nさんと話した色々なことが走馬灯のように浮かんだ。
看護師はいろんな人生を真近でみさせてもらえる。
その方たちには一回の人生なのだ!
本当に貴重な経験であり勉強の毎日である。
一人一人と真剣に向かい合い、一人の人として関わっていきたいと思うのだ。