症例 9 74歳男性 わがまま透析患者の最期
Sさんは透析を始めて10年以上
74歳になる男性だ。
昔は透析をしても10年以内に亡くなる患者さんがほとんどだったが、近年透析技術も進歩し、10年以上たっても社会生活・仕事もできる人も多い。
でも一般的に透析患者さんはちょっと病院慣れしてるというか、わがままな人も多い。
そして入院中も我慢できなかったり、ご自分のやり方を曲げない人も多い。
その中でもSさんは筋金入りだった。
以前入院した時も、フラフラしながら売店に行って食事制限は無視、お風呂も嫌がってスタッフを困らせた。
検温でもろくに話もしてくれなかったり、「ほっとけ!」と怒鳴ったりしていた。
家庭もあったようだが、若い頃離婚して一人で実家に住んでいた。かなりわがまま気ままに生きてきた人だった。
今回も肺炎と肺水腫があり、入院となった。
体調も悪いようで声をかけても無視したり、ナースに殴りかかって転んでしまったりした。
そんなおり唯一の身内であるお兄さんがクモ膜下出血で急逝された。
退院後の事など相談できるキーパーソンがいなくなってしまった。
Sさんはかなりショックをうけていた。
Sさんには息子さんも遠くにいるらしく、MSWがそちらに連絡をとってみたが、「もう35年も会っていない。そちらでお墓もお願いします」と会うこともお断りされた。
義理の姉( お兄さんのお嫁さん) も関わりたくないと拒否された。
そんな中何か感じるものがあるのか、だんだんに食事を摂らなくなった。
力も入らない為、食事も介助が必要になり、飲み込む力も弱くなって、むせることもあった。
とにかく「 もういらない。」とほとんど食べなくなった。
透析患者はバランスを崩すと一気に重症になる。
意識状態もあまり良くなくウトウトしたり、グッタリしていた。
透析だけはなんとか続けることができた。
リハビリで嚥下機能をみてもらったりもしたが、それほど悪くなってはいなかった。
食べられないのはただの気力の問題なのか…
わたしたちは主治医も交えて、カンファレンスを続けた。
本人に聞くと
「もう少し生きたい」と答えた。
その意思を確認し、カンファレンスの結果鼻から胃管を入れることになった。
経管栄養を入れて1週間で体調が戻るか評価する予定だった。
本人も希望されていたが、目覚めると嫌になって自分で胃管を抜いてしまい、両手にミトンを装着した。
そのうちに血圧が下がり、意識も朦朧とするようになった。
もう経管栄養をするような場面ではなくなった。
そしてある日の夜、旅立たれた。
結局おばさんにあたる人がお葬式の準備をしてくださった。
Sさんは月曜日水曜日金曜日の透析の度終わると売店で何か買って食べていた。
「お元気ですか?」と声をかけてもほとんど返事は返ってこなかったがどこか憎めない患者さんだった。
そんな姿が浮かんだ。
ご冥福をお祈りします。