症例 6 66歳男性 脳梗塞発症 失語症あり
Tさんは一人暮らし
ずっと仕事を世話してくれる人の家の離れに暮らしていた。
酪農とか鶏小屋の世話などをして生活していたらしい。
もう親族とか身寄りはだれもいなかった。
それでも体が丈夫ならなんとか生きてゆける。
しかし一旦病気など仕事ができなくなると、途端に生活の場を失う。
Tさんも数日前から言葉がうまく伝わらなくなり、職場の人が困って当院に連れてきた。
本人は最後まで病院に来るのを嫌がっていた。
(失語症とは脳障害の部位によってでる症状で、言葉は理解できても発語できない場合と、言葉も理解できない場合などがある)
急性期病棟で点滴などの一通りの治療を終え、退院調整のため地域包括ケア病棟に転棟してきた。
たぶん180センチ以上ありそうな大きな人で髪は伸び放題、目つきもあまり良くなかった。
退院先がない、相談できる親族がいないという事で今後を決めるのにかなり時間がかかりそうな患者さんであった。
症状は歩き方などはだいぶバランスもよくなり安定していた。ただ失語症がひどく何を言っているのか理解不能であった。
担当のベテランMSWと一緒に面談もしたが、何だかわからない言葉の最後に毎回「バカやろ」がつき内容は推測するしかなかった。
初めは言いたい言葉が出ずにイライラして「バカやろ」と言っていたのだろうが、そのうち口癖のようになってしまった。
それでもだんだんコミュニケーションがとれるようになってきた。
ご本人は「友達に連絡すれば前みたいに仕事がある」と言い張ったが以前の職場の受け入れは良くなくて結局入院を継続していた。
だんだんに事態が飲み込めてきた様子で、字を書いたりSTの指導のもと失語症のリハビリを積極的に励んでいた。
はじめは何を書いているのか判読不明だった文字も毎日ノートに何回も練習し、読みやすく書けるようになった。
地域包括ケア病棟の期限である60日が近くなりもう一度職場の上司に連絡したが
「以前住んでいた離れはもう壊すから住めない」と断られた。
本人も流石に一人暮らしはできないと思ったのだろう。こちらで探した施設や病院などの話も聞くようになった。
「もうどこでもよいから病院に任す。
仕事ができるようになりたい」と、退院先について覚悟してくれた。
そしてやっと車で1時間程かかる生活支援型の施設に空きが出て、とりあえずショートステイで様子を見、よければ入所できることになった。
退院の日
Tさんは笑顔で
「お世話になりました」と誰にでも聞き取れるくらいの発音で挨拶して退院された。
それから1カ月以上たってからベテランMSWから「Tさんはずっとリハビリ頑張っていて、だいぶ発語も良くなり、今度は何か資格を取るように勉強しているそうです。」
と報告を受けた。
久しぶりにTさんの熊みたいなのっそりとした大きな背中を思い出した。
元気で頑張っていると聞き、本当に地域包括ケア病棟の60日というのは退院先を決めるのに意味のある大切な期間なんだなぁと実感した。
一人一人1番その人にあった退院先をみつけ、他職種とも協力しながら支援していきたい。と思った。